テオティワカン遺跡 |
|
メキシコシティーから北へ50kmの位置にあるテオティワカン遺跡は、紀元前2世紀頃に建造され、4〜7世紀に最も栄えた古代都市遺跡です。遺跡内に残るピラミッドや神殿は当時の宗教行事に使われていました。太陽のピラミッドは最大の大きさを誇り、建造されるには1万人の労働者と10年の歳月を要したと考えられます。高度な建造技術を持っていたテオティワカン人も8世紀の文明の滅亡とともに消えてしまいました。今でも真相は謎のままで、歴史の奥深さを感じさせてくれます。
|
|
|
チチェン・イツァー |
|
チチェン・イツァーはユカタン半島の先端、カンクンとメリダのほぼ中間に位置しています。
ユカタン半島に栄えたマヤ文明の中でも最も豪華な神殿が建てられるなど、文明の中心地として栄えていました。
マヤ人は暦によって定期的に遷都していたため、遺跡内には伝統的なマヤ様式の古い建造物とトルテカ文明の影響が見られる新しい建造物が同居しています。
ククルカン神殿は春分の日と秋分の日になると、階段の影が伸びて蛇が降臨したように見える巧妙な仕掛けがしてあります。
|
|
|
メキシコシティ歴史地区とソチミルコ |
|
巨大都市メキシコシティーの中心ソカロの周りには、メトロポリタン・カテドラルや国立宮殿などスペインの統治が始まってからのバロック様式の建築物が並んでいます。
また、アステカ時代の遺跡も市内に残っています。
特にアステカ時代のトラテロルコ遺跡、スペイン統治時代のサンティアゴ教会、それに近代的なビル群が集まる場所は「三文化広場」と呼ばれ、メキシコの歴史を象徴しています。
街の南にはメキシコシティーが昔、湖上に浮かぶ都市だったことを思い出させてくれるソチミルコの水路が残っています。
今では市民や観光客の憩いの場所となっています。
|
|
|
パレンケ遺跡と国立公園 |
|
パレンケ遺跡はパカル王とチャン・バールム王が統治していた7世紀頃に最盛期を向かえました。
この時期を過ぎると廃墟と化し、800年間人目に触れずジャングルに眠っていました。
18世紀に発見されて以降、1993年に王の墓室が見つかるなど未知の部分が未だ多く残っています。
スペイン人が略奪を繰り返したため、色鮮やかな彫刻やマヤ文字の石板は失われてしまいました。
しかし残されていたマヤ文字は研究の重要な資料になっています。
神殿や宮殿は美しく復元され、メキシコ旅行のハイライトになっています。
|
|
|
オアハカ歴史地区・モンテアルバン遺跡 |
|
オアハカはバロック様式の建造物が数多く残るメキシコ有数の観光都市です。
なかでも鐘楼が美しいサントドミンゴ教会はバロック建築の代表作です。
また入口天井に装飾が施された「生命の木」は、その壮観さに目を奪われます。
市内から南西へ約10kmの位置にあるモンテ・アルバンは、紀元前500年頃からサポテコ人が造った祭礼センターです。
踊る人々のピラミッドに残るレリーフは考古学的価値が高く、オリジナルは現在博物館に保存されています。
後にモンテ・アルバンへやってきたミステコ人は埋葬の場として利用したため、金銀など多くの財宝が発見されています。
|
|
|
カラクムル遺跡 |
カラクムル遺跡はカンペチェから南東へ約350km、ベリーズとの国境近くに位置します。
マヤ文明最大規模の遺跡群ですが、ジャガーなどが生息するカラクムル自然保護区内のジャングルにあったため、1931年に発見されるまで眠っていた遺跡です。
250〜695年の古典期にはパレンケ遺跡と並ぶ勢力を誇っていたと考えられています。
大神殿がいくつも並び、ステラと呼ばれる石碑がジャングルの木々たちと静かに共存しています。
|
|
|
|
ソチカルコの古代遺跡地帯 |
|
ソチカルコ遺跡はモレーロス州の州都クエルナバカから南へ約35kmの丘陵地帯にあります。
「ソチカルコ」とは「花々の館」を意味する言葉で、700〜900年代のマヤ文明の遺跡です。
マヤ文明はユカタン半島で栄えたため、メキシコ中部でマヤ文明の遺跡が残っているのは珍しいことです。
ケツァルコアトル神殿などに残るマヤの神官のレリーフは保存状態が良く、現在でもマヤ文明の技術の高度さを目にすることができます。
|
|
|
エルタヒン遺跡 |
|
エルタヒン遺跡は7〜8世紀にベラクルス地方に住んでいたトトナカ人の宗教都市と考えられています。しかし諸説が数多く存在し、未だ明確な答えは得られていません。遺跡内からは17もの球戯場が発見されており、「古代球戯の発祥地」と言われています。ここに残る美しいレリーフが当時の様子を克明に印しています。球戯場だけでなく、稲妻とハリケーンの神々を祭った壁龕のピラミッドも見所です。ピラミッド自体が宗教用のカレンダーの役割を果たしており、今も各基壇は美しい姿で残っています。
|
|
|
グアナファト鉱山群 |
|
グアナファト州の州都グアナファトは、メキシコに数あるコロニアル都市の中で一番美しいと言われる街です。サカステスと同じく銀の産出によって得た富で、街は美しく作り上げられました。現在州立博物館として使われている建物は「アロンディガ・デ・グラナディータス」と呼ばれ、独立戦争時代に政府軍と解放軍の激戦が繰り広げられた場所です。当時の英雄ピピラの記念像がある丘からの景色が最もグアナファトが美しく見えます。昼間は光を浴び眩しく、夕方は街並みが色づき、夜はカンテラの明かりが街を包み、童話のような世界を見せてくれます。
|
|
|
プエブラ歴史地区 |
|
メキシコシティーから東へ120kmにあるプエブラは、現在人口130万人が暮らす大都市です。
近代都市ではある一方、ソカロ(アルマス広場)を中心としたコロニアルな街並みが残る観光の街でもあります。
特にサントドミンゴ教会のロサリオ礼拝堂は必見です。
またプエブラの西、チョルーラも世界遺産に登録されています。
その中心にあるトラチウアルテペトルと言われる大神殿は、紀元前5〜8世紀に建造され、テオティワカン遺跡の太陽の神殿をしのぐ規模だったと推測されています。
|
|
|
ケレタロの文化財地帯 |
ケレタロは首都メキシコシティーと銀山の街グアナファトの間に位置する交通の要衝として発展してきました。
18世紀頃は国内3番目の都市にまで発展しましたが、現在は古い街並みを活かした観光都市になっています。
石畳の道や石造りの教会なども美しいですが、なんと言ってもこの街のシンボルは水道橋です。
今でこそ使われておりませんが、新鮮な水の不足で悩んでいた住民のために、1726年から12年かけて建てられました。
全長は1280mに達し、74のアーチは優雅な曲線を描いています。
|
|
|
|
モレーリア歴史地区 |
|
メキシコ南西部ミチョアカン州の州都モレーリアは、メキシコのコロニアル都市のなかでも最古に属しています。
1541年、メキシコを征服したスペイン人は赤みを帯びた石材を用い、次々と重厚な建物を建てました。
現在では学校や博物館、レストランなどとして使われており、街に溶け込んでいます。
街の名前はメキシコ独立運動の英雄ホセ・マリア・モレーロスが生まれた地であることを記念して、1828年にモレーリアと改名されました。
|
|
|
オスピシオ・カバーニャス |
|
オスピシオ・カバーニャスはメキシコ第2の街、グアダラハラのシンボルです。
1810年に建てられ、1980年まで孤児院として使われてきました。
現在では礼拝堂、ホールなどグアダラハラの一大文化センターとして市民や旅行者から親しまれています。
この建物は、この街出身の巨匠クレメンテ・オロスコが描いた「スペインのメキシコ侵略」と総称される50以上の壁画や天井画で彩られています。
この建物以外にも、州庁舎などにも作品があり見所が多い街です。
|
|
|
サカテカス歴史地区 |
|
サカテカスは16世紀にメキシコ随一の銀鉱として栄えた街です。
銀で富を得た貴族階級は、富を競うようにバロック様式の豪邸や教会を次々と建てました。
今でも教会や古い石畳の小路、広場などが残っており、中世ヨーロッパのような空気が自然と流れています。
ブーファの丘へ向かうケーブルカーからはこの美しい街並みを一望できます。
この丘は1914年のメキシコ革命の大舞台にもなりました。
革命軍と連邦政府軍が死闘を演じ、勝利を得た革命派から大統領が選ばれ、新しいメキシコがスタートしました。
|
|
|
カンペチェの歴史的要塞都市 |
|
カンペチェは1540年スペイン軍によって征服され、貿易港として栄え始めました。
発展していく一方で、メキシコ湾に潜む海賊に何度も襲撃を受け街は被害を被りま
した。
そこで1686年から18年の歳月を費やし、大要塞が築きあげられました。
かつて城壁は全長2.5kmの長さで市街を囲んでいましたが、300年経った現在はサンファン砦からサンフランシスコ砦の間だけが残っています。
しかし、市内に残る7つの砦と共に街の顔として、現在も当時の偉容は健在です。
|
|
|
トラコタルパンの歴史的建造物群 |
トラコタルパンは州都ベラクルスから南へ約90kmに位置する小さな街です。
「トラコタルパン」とは先住民の言葉で「水に囲まれた土地」という意味の通り、船による交易が全盛の19世紀頃はベラクルスと並び、重要な港町として栄えていました。
現在では人口2万人にも満たない小さな街ですが、昔ながらののどかな景観が世界遺産に登録されています。
サラゴサ広場を中心として古くからある公園や建物が美しく保存されています。
|
|
|