【メキシコ】【添乗員同行ツアー】オアハカ歴史地区とマヤ文明のカラクムル遺跡を巡る11日間

添乗員同行 世界遺産ツアー

<メキシコ 添乗員同行ツアー>

【添乗員同行ツアー】色彩豊かなオアハカ歴史地区と密林に潜むマヤ文明最大級のカラクムル遺跡を巡る11日間
ジャングルの中にあるカラクムル遺跡を観光します。
オアハカでは名物料理をお召し上がり頂きます。
世界遺産に登録されているオアハカ歴史地区とモンテ・アルバンにご案内します。
 
 
 


■ ツアー催行状況

  • 出発日残席数
    11/9(水)発
    受付終了
  • 出発日残席数
    12/7(水)発
    受付終了
  • 出発日残席数
    1/18(水)発
    受付終了
  • 出発日残席数
    2/8(水)
    受付終了
  • 出発日残席数
    3/7(水)発
    受付終了
「残席数」
○印:4席以上空席あり  満席:満席のためキャンセル待ちとなります。
「催行状況」
募集中:現在、募集中です。  催行決定:催行決定しました。
催行予定:最少催行人員に達しておりますが、催行決定はご出発の1ヶ月前頃の予定です。
今後のキャンセル状況によっては催行中止になる場合もございます。
こちらのツアーの募集は終了致しました。
【お問い合わせはこちら】


アステカやマヤ文明などの古代遺跡の残っているメキシコ。
日本の国土の5倍もある広大な面積には、古代遺跡だけではなく、たくさんの魅力ある場所が点在する。
街を散策すれば、それぞれ特徴ある建物や教会に出会い、郷土料理に舌鼓する。
マーケットでは民族衣装やカラフルな小物、帽子などどれも欲しくなるものばかり。
またユカタン半島には世界的にも有数のリゾート地、カンクンを始め、カリブ海の海を存分に楽しめる場所があり、多種多様な表情を見せてくれる。
 


メキシコ最大の都市で、ラテンアメリカの経済の中心地の1つであるメキシコシティは、かつてアステカ帝国の都を破壊し、その後、スペイン人によって築かれた都です。
街の中心ソカロの周りにはメトロポリタン・カテドラルや国立宮殿などスペインの統治が始まってからのバロック様式の建築物が並んでいます。

メキシコのカトリック教の総本山で、教会建築物はラテンアメリカ最大です。コルテスがメキシコにおけるカトリック布教の主座として1563年に着工し、100年以上の歳月をかけて完成しました。
内部はバロック様式の重厚な装飾で覆われ、厳かな雰囲気が漂い、多くの人達がお祈りを捧げています。

アステカ時代にモクテスマ2世が居城としていた場所にコルテスが植民地の本拠地として宮殿を建設しました。
毎年9月15日の独立記念日の夜に宮殿のバルコニーから大統領が”Viva Mexico(メキシコ万歳)”と叫びます。

16世紀、アステカの神殿があったテペヤックの丘に建てられたカトリックの寺院です。
ローマ法王公認の聖地で、メキシコ国民の精神的な支えである”褐色のマリア”が祀られています。
旧聖堂は1709年にテペヤックの丘から移されましたが、地盤沈下の為、傾いています。
1976年に新聖堂が建設され、褐色のマリアの絵は現在、新聖堂に移されています。

紀元前2世紀頃に建造され、4~7世紀に最も栄えた古代遺跡です。
太陽のピラミッドを建造する為に1万人の労働者と10年の歳月を要したと考えられています。。
テオティワカンとはナワトル語で”神々の住む所”を意味し、後にこの地にきたアステカ人によって名付けられました。
計画的に建設された太陽のピラミッド、月のピラミッド、南北に全長約4kmの死者の道、西の広場には住居跡も見られ、当時の繁栄ぶりが伺えます。特徴的な建築様式はタルー・タブレロ様式と言われる、袴のすそのように下方に広がっている形です。
これだけ高度な建造技術を持ちながら、8世紀頃に衰退していきます。過剰な人口増加による食料不足、災害、治安の悪化など様々な要因が考えられていますが、真相は謎のままです。

ユカタン半島北部のプウク地方にあり、マヤ文明が最盛期にあった7世紀から10世紀にかけて、政治と経済の中心地として繁栄した古代都市です。
石のブロックを積み重ねた建物は二層になっていて、上部の壁に様々なモザイク紋様が施されているのが特徴的です。

ユカタン半島に栄えたマヤ文明の中でも最も豪華な神殿が建てられるなど、文明の中心地として栄えていました。
マヤ人は暦によって定期的に遷都していた為、遺跡内には伝統的なマヤ様式の古い建造物とトルテカ文明の影響が見られる新しい建造物が同居しています。 エル・カスティージョ(ククルカン神殿)は春分の日と秋分の日になると、階段の影が伸びて蛇が降臨したように見える巧妙な仕掛けがしてある他、星の観測をしていたカラコル(天文台)やメソアメリカ最大級の球戯場や聖なる泉セノーテ、入り口のチャックモールの像がある戦士の神殿など広大な敷地には見所がたくさんあります。

カンペチェは1540年スペイン軍によって征服され、貿易港として栄え始めました。
発展していく一方で、メキシコ湾に潜む海賊に何度も襲撃を受け街は被害を被りました。
そこで1686年から18年の歳月を費やし、大要塞が築きあげられました。
かつて城壁は全長2.5kmの長さで市街を囲んでいましたが、300年経った現在はサンファン砦からサンフランシスコ砦の間だけが残っています。 しかし、市内に残る7つの砦と共に街の顔として、現在も当時の偉容は健在です。

カラクムル遺跡はカンペチェから南東へ約350km、ベリーズとの国境近くに位置します。
マヤ文明最大規模の遺跡群ですが、ジャガーなどが生息するカラクムル自然保護区内のジャングルにあったため、1931年に発見されるまで眠っていた遺跡です。
250~695年の古典期にはパレンケ遺跡と並ぶ勢力を誇っていたと考えられています。
大神殿がいくつも並び、ステラと呼ばれる石碑がジャングルの木々たちと静かに共存しています。

パレンケ遺跡はパカル王とチャン・バールム王が統治していた7世紀頃に最盛期を向かえました。
この時期を過ぎると廃墟と化し、800年間人目に触れずジャングルに眠っていました。
18世紀に発見されて以降、1993年に王の墓室が見つかるなど未知の部分が未だ多く残っています。
スペイン人が略奪を繰り返したため、色鮮やかな彫刻やマヤ文字の石板は失われてしまいました。 しかし残されていたマヤ文字は研究の重要な資料になっています。 神殿や宮殿は美しく復元され、メキシコ旅行のハイライトになっています。

オルメカ文明の中心地だったラベンタ遺跡から1925年に出土した石碑の数々を、草木の生い茂る1周約1kmの敷地に配置した遺跡公園です。
メキシコの文明の源といわれるオルメカの遺物が、森の中に忽然と現れます。
マヤ文明やテオティワカン文明など多くの文明の母体になったと言われています。
また付属の動物園にはサルやジャガーもいて、見学することができます。

メキシコ南部のプエブラ州にある標高5,426mの活火山ポポカテペトル山の山腹に16世紀にフランシスコ会士らによって建立されたもので、短期間にキリスト教を布教する際に中心的な役割を担っていました。

18世紀半ば、タスコで銀の大鉱床を掘り当てたホセ・デ・ボルダが建築家ディエゴ・ドゥランとファン・カバジェロに造らせた教会。 メキシコバロック様式で造られた壮麗なつくりが見ものです。

オアハカはバロック様式の建造物が数多く残るメキシコ有数の観光都市です。
なかでも鐘楼が美しいサントドミンゴ教会はバロック建築の代表作。
また入口天井に装飾が施された「生命の木」は壮観です。
モンテ・アルバンは紀元前500年頃からサポテコ人が造った祭礼センターです。
踊る人々のピラミッドに残るレリーフは考古学的価値が高いと言われています。
また後にモンテ・アルバンへやってきたミステコ人は埋葬の場として利用した為、墳墓からは金銀など多くの財宝が発見されています。

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【添乗員同行ツアー】色彩豊かなオアハカ歴史地区と密林に潜むマヤ文明最大級のカラクムル遺跡を巡る11日間
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  • 出発日残席数
    11/9(水)発
    受付終了
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    受付終了
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